読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

CLOSET

kewpieの個人ブログ。

うれしい日

DIARY PHOTO

新年初の通院のために、京都に行ってきた。少しブランクが空いてしまったのは、スケジュールの都合とかもあるけど、なんとなく気が落ちてしまって、病院に行く気になれなかった。たぶん、病気の症状と向き合うのに疲れてしまっていたんだと思う。冬だし、ちょっとしたうつ気分みたいになっていたのかもしれない。それでも、病院に行かないといつまでもこのままだし、悪くはなるけど良くはならないと思って、重い腰を上げて行くことにした。

偶然乗れた、特急「丹後の海」に揺られて1時間。「丹後の海」は天橋立に行ったときに乗ったこともあり、思い出深い列車だ。出発するとき、外は雪景色だったのが、京都に近づくにつれてみるみる雪がなくなっていくのが見えた。久しぶりに乗った電車は、生き地獄みたいなつらさがあった。やっぱり、外に出ないとダメだなあなんて思いながら、ひたすら耐えていた。それでも、暖かな木目調の内装を見ていたら、少しずつ気分が穏やかになっていく気がした。

f:id:kewpiedesign:20170202213303j:plain

通院の前に、人と会う約束をしていた。元バイト先の人と。いまはいったんアルバイトを退職しているので、こういう表現になる。前々から京都市内に来たら会いましょうと声をかけてもらっていた。丸太町に行く前に、烏丸御池で降りる。もう幾度となく乗り降りをして、家みたいになっている場所だ。どれだけ体調が悪くても、不思議とここに来ると緊張しない。もう何度も言っているけれど、人間の慣れという力はすごい。

その後、コンビニで合流して、久しぶりに挨拶をした。たぶん1年ぶりくらいだと思うのだけれど、顔を合わせてもまったく緊張しなかった。まったくといえば嘘になるかもしれない。少しは緊張していた。その後、アルバイトとして入社してすぐに連れて行ってもらった、思い出深いお店へ向かった。席は当時と違ったけど、懐かしさがあった。

ごはんを食べながら近況を話す。箸はあまり進まない。もともと人前でごはんを食べることが苦手で、高校時代は友達の前で米一粒を口に入れることがやっとなくらい苦手な時期があった。会社で1年かけて慣れたはずのテクニックが、1年経って元に戻ってしまっていた。習慣は続けないと消えるのだな、と身に沁みて実感した。

その一方で、口はよく動いた。話したいことが溜まっていたのか、久しぶりで遠慮があまりなくなっていたのか、1対1だから話しやすかったからなのか、会話を上手に進めてもらったからなのかは分からないけど、やたらスムーズだった。話すことは一番の苦手で、今までは言葉一つ選んでいる間に会話が流れたり、自分が発した言葉にいちいち後悔したり、そういう失敗体験ばかりでぎこちなかったのだけれど、今日は川の水が流れるように流暢に会話を進めることができた。もしかして、話すことってそんなに苦手でもないんじゃない?と思いはじめてきた。たまたまなのかもしれないけど。

注文した親子丼が思ったより胃に入らず、もったいなさすぎて本当に申し訳なかったのだけど、その後病院に向かう予定もあったので泣く泣く残させていただいた。こんな胃袋の狭い人間に選ばれた鶏肉がかわいそうな気がした。

その後、店を出てお互いに別れて、自分は病院へ向かった。久しぶりに人と会って話すことができた充実感と、ひとつ課題をクリアできたような達成感があった。話している間は病気のことを忘れられて、こんな瞬間があるのなら全然まだまだ生きていけるな、と思った。病気だから人と会って話すことは難しい、と勝手に自分の中で思っていた。チャレンジしないと分からないことがある。

病院では、先生に「分からないこととかがあったらメールしてよ、来るの遠いんだから」と言ってもらえて、嬉しくて、ホッとした気分で病院を出て、帰りに丸太町の路地裏の写真を撮った。写真を撮った瞬間、目の前の女の人と目が合って、その人も、街の写真を撮っているようだった。

f:id:kewpiedesign:20170202212912j:plain

今日はなんだかうれしいことがある日だなあ、と思った。そんな気分で久しぶりに立ち寄った京都駅で京都タワーを見上げたら、なんだかすごく清々しかった。レタッチも清々しい感じにしてみました。

f:id:kewpiedesign:20170202212343j:plain

その時、その時に感じた感情を大切にしながら生きていきたいなあ、と心から思った。心からうれしいと思える日が来ることもあるんだよ、という記録を残しておきたい。これだから、人生は捨てたもんじゃないんだなあ。

耳をすませばと多摩丘陵とFunny Bunny

TEXT MOVIE MUSIC

昨日、耳をすませばを観た。ジブリ作品はどれも幼い頃から刷り込み洗脳のように観ていて、もう何度目なのかも分からない。ジブリ作品を観ていて特に覚えているのは、レーザーディスクで観ていた記憶だ。レーザーディスクと言ってもピンと来ない人もいるかもしれないけど、簡単に言ってしまえばレコードのようなDVDのようなもので、紙のジャケットから円盤を取り出して、専用のプレーヤーにセットして観る。片面に収録できる分数が短いので、ある程度まで観るとディスクを取り出し、裏返してまたプレーヤーにセットして観なければならないという面倒くさいことをしなければならなかったのだけど、それもまた楽しみのひとつだった。ここまで語っておいてなんだけど、耳をすませばはビデオで観ていた。

昔話はさておいて、ジブリ作品は何度も観ているはずなのに、観るたびにいつも新しい発見がある。今回は字幕をオンにして観たのだけど、あのとき雫や聖司はこんなことを言っていたのか、という発見が多かった。特に、地球屋の前で雫がムーンに話しかけるシーンはちゃんとセリフを聞き取れていなかったので、あれだけ観ていたのに初めて雫の心の内を覗きこんだような気がした。自分が思ったより複雑な心情で揺れていたのだなと、10年以上経って理解した。こんなところにおもしろさがある。

耳をすませばには、多摩市街がほぼそのままの姿で舞台となって現れる。モデルにした土地は多いものの、舞台が明確に描かれない作品が多いジブリ作品では珍しい。平成狸合戦ぽんぽこにも、全編に渡って多摩丘陵が出てくるのだけど*1、ジブリのスタジオが多摩地域である小金井市にあるからなのかなあ、となんとなく想像をめぐらせた。

f:id:kewpiedesign:20170128162813j:plain画像引用元: 桜ヶ丘 (多摩市) - Wikipedia

雫が地球屋を何度も行き来する中で通る坂は、聖蹟いろは坂と言うらしい。行ったことはないけれど、丘陵を一望できる見晴らしのいい坂なのだそうだ。自分の住んでいる京都は、全体的に盆地特有の緩やかな地形で、多摩丘陵のようなアップダウンの激しい地形ではないので、物珍しさで行ってみたいなあと、劇中であの坂を見るたびに思う。

最近好きになった、アイドルネッサンスというグループの「Funny Bunny」のMVやジャケットにもこの坂が登場していて、タイミングよくその姿を見ることができた。

キミの夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで
走ってきた
飛べなくても不安じゃない
地面は続いてるんだ
好きな場所へ行こう
キミなら それが出来る

Funny Bunny - アイドルネッサンス - 歌詞 : 歌ネット

たまたまなのだろうけど、耳をすませばを観たあとにこの曲を聴くと、雫へのメッセージのように聞こえる。完全にたまたまなのだろうけど。 

Funny Bunny

Funny Bunny

 
耳をすませば [DVD]

耳をすませば [DVD]

 

*1:多摩ニュータウンの開発がテーマになっているので当たり前といえば当たり前

裏切りの朝

DIARY

数日前、自分の住んでいる地域の天気予報を見ていると、木曜日の最低気温が−12℃になっていて、今まで見たこともない数字に驚いた。−12℃なんて、国内だと北海道でくらいしか見たことのない数字だ。ここは京都の山奥なのに、いくら今年の冬が寒いからといって、一夜にして数字で北海道と並んでしまうなんて、そんなことがあるものか、と思った。

それからというもの、来たるべき木曜日に備えて、ネットで様々な情報を調べた。木曜日は、いつも用事があって早起きをしなくてはならない日なので、用意周到なまでに対策をしようと思った。調べたキーワードは「−10℃ 寒さ」とか「−10℃ 対策」だとかだ。出てくるのは北海道の人が書いた防寒対策や、世界の寒い地域の最低気温のまとめとか、そんな情報だった。それを片っ端から見ては震え上がっていた。「−20℃とかだと、寒いというより痛いですよ!睫毛も凍ります」というような体験談を見て、自分の知らない地域では、そんな世界が当たり前のようにあるのか…と愕然とした。

そして昨日の夜。たまたま夜に外出をしていたのだけど、あたり一面が霧に覆われて、さながらサイレント・ヒルのような光景が広がっていた。「いよいよ、シベリアの夜が来るんだ…」と思いながら、帰路に着き、いつもと同じように布団に入った。

布団に入っても、気になるのは気温のことばかりで、こまめに天気予報アプリの予想気温とアメダスをチェックしていた。ほんとに−12℃にまで下がるのだろうか。下がったら、いったいどんな光景が広がっているのだろうか。いきなりの寒さに、心臓に負担がかかりやしないだろうか。そのことで頭がいっぱいだった。だけど、そのとき見たアメダスの気温と予想気温に、かなりの差があることに少し気づきはじめていた。

異常な緊張から来る不眠から目を覚まし、布団から起き上がる。外はいったいどうなっているのだろうか。用事を済ますために、この2日間ネットで調べた万全の対策を参考にして防寒をした。「耳はしっかり守っておいたほうがいい」「素手だと凍る」「顔をそのまま出すと鼻がもげそうになる」など。とにかく未知の世界なので、念には念を入れた。

そしていざ、外へ足を踏み出した。顔がビリビリと冷たくなるような寒さ…のはずが、特に際立った冷気は感じない。道は凍ってツルツルのはずが、特段凍ってはいない。川はさながらスケートリンクのようになっているはずが、鷺が悠長に泳いでいる。目の前を通るおじいちゃんは犬の散歩をしている。犬は楽しそうである。

これはいつもとごくごく変わらない、日常の風景のはずだ。

一体全体、どういうことなのか。玄関のドアを開けて想像したのは、地の果てのような、未知の世界観だった。冷気に包まれ、冷気に支配された土地。それが、起きてみたら、なんらいつもと変わりやしない普通の朝だった。

前日の、あたかも何かが起こりそうな、サイレント・ヒルのような風景はなんだったのか。やっぱり北国でもないし、−12℃になんてなるはずがなかったんだ。ガッカリしたような、でも未知の世界ではなくて安心したような、複雑な気持ちに包まれながら用事を済ませた。

シベリアの夜も、朝も来なかった。なんだかなあ、でもやっぱり、普通が一番なのかなあ、と思いながら。用意周到なまでに準備した防寒対策の情報も、いつか役に立つかもしれない。そう思いながら、家の中へ入ったのだった。

学んだこと

DIARY

病気になってからというもの、人間の体ってなんて難しいのだろう、と思うようになった。自分が望んで生まれ持ったわけではない体を、自分がメンテナンスして生きていかなければならないだなんて、不条理だとすら思う。こういうことを書くと、この世に生まれたことを後悔している、みたいな、破滅的なニュアンスになりかねないけど、そうではない。ただ、取扱説明書もない、医学によってだんだんと解き明かされていくことでしか理解できない人体を、どうやったら上手く扱えるのか分からないまま、手探りで毎日死ぬまで自分の体と向き合わなければいけないというのはすごく面倒なことで、この世はファンタジーの世界のようだ、と思う。

最近は、若いということが辛い。若いといってもめちゃくちゃ若いわけではないけど、世間から見たらそれなりに若い年齢だということが辛い。老いるのが嫌なわけではないけど、若いうちにしか出来ないことは色々とあるはずで、自分なりに何歳になったらどうなっていたいか、という理想は昔から持っていたので、それが出来ない環境にあるという現実は、それなりに心身に堪える。一人で出来ることなんていくらでもあるし、希望だって持とうと思えばいくらでも持てるけれど、自分の中では、20代のうちは外で働いて、自分では自覚できない、足りない部分を他者に評価されることによって補っていきたいと思っていたので、何もしなくても勝手に奪われていく、今しかない若さを棒に振って病気と向き合わざるを得ない、というこの現実は辛い。人間、生きていればいつ病気をしてもおかしくないけれど、せめてもう少しタイミングをずらして来てくれればよかったのに、という思いでいっぱいである。けれど、ペース配分を誤って体を壊してしまったのは自分自身で、そういう点も含めて、やっぱり不条理だと思う。

とまあ、時間があればこんなことを考えてしまうわけだけど、こういう考え方をしていても何の救いにもならない。救いがあるとすれば、ペース配分を自分の体から教えてもらったこと。気持ちだけではどうにもならないし、体はいつでも正常なわけではない、という、当たり前のようでそうではないことを教えてくれたと思う。今までどうにかなっていたのはたまたまで、気合や根性でどうにかなってくれるわけでもなく*1、壊れるときは壊れるということを、誰から教えられたわけでもなく、自分の体から身を持って教わったという経験は大きいし、この考え方は今後の人生に少なからず影響していくと思う。

自分はめちゃくちゃアンラッキーな人間ではないけれど、ハッピーな人間でもない。どちらかといえばその中間だと思う。中間というのは都合がいいので、どちらにも寄ることができる。ならば、今から少しでもハッピーな方に進んでいこうじゃないか、というのが昨年から考えて行き着いた結論である。

なんだか同じようなことばかり書いている気がするけれど、振り返って一つずつ読むと、言葉は似ているけれど少しずつ感情は違っていて、それが日記のおもしろいところだなあ、と思う。

*1:ただ、感情の扱い方次第で体を変えることはできると思っている

頑張る

TEXT DESIGN

母に、「あんたが昔から頑張ってたこと、ちっとも知らんかったわ。仕事でいっぱいいっぱいで、全然見てへんかったから」と言われた。

昔から頑張っていたこととは、デザインのことらしい。そんなふうに言われると、なんかよく分からないけど違和感がある。別に、頑張ろうと思って頑張っていたわけではない。

小学生のときから、パソコンに張り付いて好きなことばかりしていた。いま思い返しても、ダメな小学生だと思う。画像加工ソフトで、好きなように画像をいじっているのが楽しくて、そればかりしていた。いじれば画像は変化する。いじり方を覚えれば、自分の好きなようにいじれるようになる。好きなようにいじれるようになったら、インターネットで調べて、さらにいじり方を覚えていく。インプットとアウトプットを、誰から言われたわけでもなく、やろうと思ってやっているわけでもなく、楽しいから、という理由で続けられた。

やりたいことを好きなだけやっていたら、そこそこ上達するのは当たり前の話だと思う。だから、なにも頑張っていない。好きなことをしていただけだ。そこには思考も苦労もなかった。夢中になれるものがあるから、夢中になっていただけ。

いまになって、それを意識的にやろうとすることの難しさを感じている。デザインは、好きなことというよりも、仕事ですることになり、夢中になるというよりは、集中するものに変わってしまっている。好きなことを仕事にするということは、そういうことだと思う。もちろん、今だって好きだし夢中にはなるけれど、それだけではやっていけない。

特段、頑張っていたわけではない。だけど、母は私が作った昔のものを見て「頑張っていたんだね」と言う。なんなら、今の方がよっぽど頑張っているんじゃないかな、なんて思ってしまう。こういうところで、変に大人になってしまったんだと実感する。

最初に夢中になった瞬間なんてもう二度と戻ってこないから、今を頑張るしかないのだと思う。こう書くと、なんだか夢も希望もないけれど、そうではない。むしろ今からが頑張りどきかもしれないので、地道にこつこつ積み重ねていきたい。

今年一年を振り返ったときに、よく頑張った、と思える年にしたい。頑張るって、無理をすることではなくて、自分なりにベストを尽くせることだと思っている。ベスト、尽くしていきたい。そう思うことで前向きにやっていこうという気持ちになる。

昔の自分は頑張っていなかったと思うけれど、いまは頑張っていきたい。意識しているか、していないかの違いなのかもしれないけれど。とにかく今は、頑張りたい気持ちでいっぱいなのだ。